人たらし実践術には、本当に学ぶべきところがたくさんあります。
これまで我が職場での人たらしKから学ぶ実践篇をパート1,2とレポートしました。
Kの分け隔てのない周りの人たちへの声かけと気くばりが、信頼関係の輪を築き、職場でのポジションを確固たるものにしていると書きました。
またパート3では、既に別の職場に転職した人たらしAが、かつてスーパーマーケットの店長として、来店される客を人たらしの術で
次々と自分のファン(顧客)に作り変えて、店の売り上げを圧倒的に伸ばしていった話を書きました。
そして今回のパートで4は、その人たらしAが自分の職場の悩める後輩Bを人心掌握の術で、紆余曲折の結果、見事に復活させるお話です。
目次
悩める後輩Bの存在
Aには、6歳ほど年下の後輩Bがいました。
Bは、実直な性格で何事も真面目に取り組む誠実な男でした。
いつも笑顔が絶えず人当たりのいいBは、社内でもそれなりに仕事が出来ると評価されていました。
弱点といえばノーが言えない性格で、上司から頼まれると難しい仕事でも何でも引き受けてしまう。
引き受けたからには、何が何でもやり遂げる。
休みも休まず、深夜残業もいとわず、必死に仕事をやり遂げる。
そういう男でした。
しかし、そういう仕事スタイルを長く続けると必ず弊害が生じてくるのです。
ストレス解消がうまくやれず、少しずつボディブローのように身体と心の中に溜まり続けていくのです。
それを何年も何年も続けていくと、いつしか心の病までに行き着くことになるのです。
日頃からBのことを気にかけていたAは、異なる部署からでしたが、都度「頑張りすぎるな!仕事は、適当にしとけ!」とアドバイスを送り続けていました。
それでも、Bは、その仕事スタイルは、変えられず、ハードな課題を与えられても必死でやり遂げていく。
会社にとっては、それなりに使い勝手のいい社員でした。
だけど、本人のストレスは、たまる一方。
そういう毎日を繰り返していました。
しかしそんな中、Bは、ある時、そのストレスが限界沸騰点に達したとき、
突然、自分自身で決断して、会社を辞めてしまいました。
たぶん、心の病に落ちてしまう寸前での決断だったのかなと思われます。
型通りの説得工作も行われましたが、本人の決意は、固く、ほどなく退職していきました。
本当は、その前に会社を辞めないまでも、休職するとか、配置転換を求めるとかの選択肢もあったはずですが、Bにとっては、会社を辞めるという究極の選択肢を選びました。
先輩人たらしAも転職?
ところが、時期を同じくして先輩の人たらしAも30年以上も長く勤めた会社(僕と同じ)を辞めたのです。
これは、ストレスでの退職というよりも、諸般の事情により他企業より乞われて、異業種の社会福祉法人にスカウトされて移籍したというのが正解でした。
転職後、人たらしAは、特に自分から希望したわけではないのですが、この新しい職場では、すぐに役員待遇で迎えてくれたのです。
僕が想像するに、Aがもつ人たらしのオーラがこの社会福祉法人幹部をたらしこんだ(別な言い方で魅了した)ということでしょう。
- どんな相手でも笑顔で分け隔てなく接するAの態度。
- 相手のフリを見抜き、気配りと心配りを尽くす姿勢。
- その場限りではないビフォーアフターで面倒見がいいこと。
- やることなすことは、常にポジティブ思考で行動が早い。
- これが人たらしAの真骨頂ですから、新しい職場でも、彼を信頼し、重要なポジションを与えることにも時間は、かからなかった。
そういうことだと思います。
無職の後輩Bを面倒見る?
そのころ、ストレスを原因として会社を辞めた後輩Bは、田舎に帰り農業でも始めようとか、頭をよぎりながらも、失業手当を貰いながら、家で過ごしておりました。
長年にわたって仕事に没頭しすぎて社畜となった我が身を、とにもかくにも、何もせずに家でボーっとのんびり過ごすことで、身も心も休ませてあげたい。
そういう状態が、数か月ほど続いたでしょうか。
そんな中、Bに声をかけたのが、先輩Aです。
そうです。人たらしAは、ちゃんとビフォーアフターで人の面倒をみる先輩だったのです。
Bの退職後も気にかけており、何かにつけ連絡をとり、そのアフターの心配をし、相談にのるスタンスは、相変わらずでした。
ちゃんとBとのライフラインを絶やさず、繋いでいたのです。
そんな中で、「田舎に帰るのは、まだ早い、家族のことを考えたらあと10年こっちで頑張ろう」
そんな風に時間をたっぷりかけて説得しました。
そして挙句の果てに、なんと自分が転職した社会福祉法人にBを迎え入れたのです。
もちろん、以前より給与は、下がりますが、Bの能力とキャパシティを考慮して適材のポストを用意してくれたのです。
その用意したポストとは、人たらしAが任されている新規事業の部署でした。
その同じ部署で後輩Bは、その能力と適正を見事に評価してくれた先輩A直轄のもとで、新しいスタートを切ったのです。
これこそ人たらしの人心掌握術の極み
この先輩Aが任されている新規事業の部署で働くようになっておよそ2年。
後輩Bは、水を得た魚のように目を輝かせイキイキと仕事をこなす毎日でした。
給料は、以前より大幅に減ったかもしれません。
しかし、以前のような仕事に追いまくられ、上司に成果を詰められて、ひたすら身を削って、精神をすり減らして働いていたころから比べると、
天と地の違いくらいにやりがいを感じています。
以前の職場では、自分の能力とか意志とかは、関係なくハイレベルな課題を与えられる。
こなせなければ追い込まれる。
- そんな以前の職場とは違い、自分の力量を見極めてくれる。
- その力量の範囲で仕事量も決められる。
- 無理な仕事は、しない。
- 自分の意思を尊重してくれる。
- それが新しい職場の風土でした。
だからこそ、自分を呼んでくれた先輩Aに対して、感謝の気持ちでいっぱいだし、自分を窮地から救ってくれた恩人として心から敬意を表していました。
その恩返しの意味も込めて、ともに取り組む新規事業には、最大限の努力を惜しまない。
成功させるためのモチベーションがそもそも、元の職場とは、180度変わりました。
やらされ感ではなく、やりがいとしてのモチベーションです。
これは、本人にとっても組織にとっても、健全な職場環境であり、羨ましい限りです。
まとめ
どうですか?
この一連の流れを、そのまま素直に受け取ると、「後輩思いのとても頼りになる面倒見の良い素晴らしいA先輩」という構図ですよね。
でも、少しだけ違った角度からみると、人たらしAの人心掌握の最たる極み術といえなくもないのです。
僕には、そう見えて仕方ありません。
Aに最初からそういう企みがあるとは、到底思えませんが、Aの天性の人たらし術がそうさせた。
結局、自分が転職した新しい職場に、元々高い能力を持っていた悩める後輩Bを人たらしの人心掌握術で、見事に
誘いこんだ。
そして新規事業をスタートするにあたっての有能な部下として配下に導いた。
そして意のままに活躍してもらう。
そんな見方は、うがった考えでしょうか。
でもこれって、ずるいという訳でもなく、だました訳でもなく、有能な人材を適材適所に配置して、花開かせたということにも通じます。
人たらしの極みは、ここにありと僕は、感じました。
人たらし術の実践例。やっぱり勉強になります。
これまでの僕の記事、人たらしの実践例パート1,2,3は、以下のリンクです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
職場での「人たらし」に学ぶ。パート1.魅力的で最高のサラリーマンライフ!
職場での人たらしに学ぶ。パート2。魅力的で快適なサラリーマンライフを送ろう。
職場での人たらしに学ぶ。パート3は、あるスーパーマーケット店長の人たらしの人心掌握術に学ぶ!